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森博嗣 有限と微小のパン

森博嗣 有限と微小のパン THE PERFECT OUTSIDER
★★★☆☆オススメ度総合
★★☆☆☆感動度
★★★★☆ハマリ度
★★★★☆面白い度

S&Mシリーズの最終作。
英題のTHE PERFECT OUTSIDERは、「すべてがFになる」のTHE PERFECT INSIDERと対になっている。
正直、ミステリー部分のみを純粋に楽しみたい人には絶対向かない。
事件が起きるのは間違いないのだけど、
トリックを語るほどではないし、動機なんてものはこの際どうでもいい話しだからだ。

シリーズの他の作品を全部すっ飛ばしていきなり本書を読むのはおすすめしない。
ある程度は楽しめるかもしれないが、理系ミステリーとあっても、
これはミステリーの枠に収まりきらないもっと深い哲学的ものがあるからだと思うのだ。
すなわち、シリーズを通して「犀川の喪失と萌絵の解放」というテーマの集大成だからだ。

このふたりの人物のひととなりを知らなければ、
「犀川の喪失と萌絵の解放」と言っても、なんのこっちゃ?な話しになってしまうと思う。
ただ、四季を含めたS&Mワールドに心酔した読者にとっては、
神々しささえ感じられるくらいシリーズラストにふさわしい一冊だと思う。

原作ファンがこんなに多いにも関わらずドラマの評判がイマイチなのは、
単にミステリーの部分のみを取り上げて薄っぺらな感じになってしまってるからじゃないかと思うのだ。


事件は、萌絵がゼミ旅行の前乗りで出かけたユーロパークで発生する。
ユーロパークは、IT企業社長でありしかも萌絵のいいなずけでもある塙理生哉が代表を務めるナノクラフト社が経営するテーマパークなのだ。

そこで不可解な殺人事件が立て続けに起き翻弄され続ける萌絵たちだったのだが、
結局は、大株主である萌絵にナノクラフト社への興味を抱かせるため塙理生哉が仕組んだ会社ぐるみの大がかりな芝居であった。

ただし、その芝居に乗じて塙理生哉の秘書が本当の殺人も犯すのだが、
殺人の動機などはもはや取り上げるまでもない扱いだった。

一方、犀川は、妹の儀同世津子から「クライテリオン」というナノクラフト社のゲームの謎を聞く。
ゲームの内容から、真賀田四季博士が関わっていることを嗅ぎ取り、
予定を早めて極秘にユーロパークへ向かうのだ。

ナノクラフト社の研究施設には間違いなく四季がいるのではないか、
と疑った犀川と萌絵は、ダークルームと呼ばれる関係者以外立ち入り禁止ルームに入るのだ。
ここでは、バーチャルリアリティシステムの研究がなされている。
そして、ここでふたりは四季と再会を果たすことになるのだ。


萌絵の解放
萌絵は不慮の事故で両親を亡くしている。
その時のショックが原因で常に死を望みながら生きていたのだ。
人の死に対して自分の感情を遮断し、
その破滅的な記憶を無意識のうちに封印することで感情をコントロールするしかなかった。
死にたいと望みつつも生きている萌絵の中のそんな矛盾に四季は興味を持ったのだ。
そんな不安定な萌絵の感情に会見の時に気付いた四季が、
萌絵の隠ぺいされた記憶を呼び戻し精神の安定に導くことになる。
つまり、萌絵の中の死にたいと願う人格を滅し、
代わりに死を四季という印象に置き換えることによって、
萌絵は確実に死ではなく生へと導かれているのだ。
萌絵が四季を必要以上に恐れるのは死と四季が置き換えられているからなのだ。



犀川の喪失
人格というのはたいていたった一つではないにしても、
それぞれの人格が平均値を求め中庸を求めるのが一般的だ。
ところが天才というのは複数の人格は交わることなくそれぞれが独立し統合されていないのだ。
犀川にしても複数の人格を持ち、それぞれの人格が同時にそれぞれの個性で物事を見ることができる。
犀川のそんな中心的役割を担っている核の人格が、真賀田四季博士に強烈に興味を持って惹かれ続けているのだ。
バーチャルリアリティの世界で四季と再会した時、
犀川の核の人格が四季とともに四季のいる世界で生きたいと思ってしまう。
それを、周りの犀川が全力で叫び抑えるのだ。「これは虚構の世界だ!」と。
結局犀川は現実の世界で生きることを選択する。
いわば、犀川の中心的存在の人格の喪失なのだ。
「現実と虚構の違いなんて、
煙草が吸えるか、吸えないかの違いだ。
そんな僅かな違いに怯え、生と死を分ける。
有限の生と、微小の死を。」
こんな風な考えに及んだのも、犀川の中で萌絵の存在が大きかったのかもしれない、と思うのだ。


一方四季は、犀川と一緒に歩くためにこのVRシステムを開発した。
さらには「瀬戸千衣」と偽名を使って妹の儀同世津子の隣にまで引っ越し世津子と懇意になっていたのだ。
しかも1年もの期間をかけて。
いずれ犀川に接触する機会をじっと待ってたのだろうか。
「せとちい」。逆から読むといちとせ。
一歳(いちとせ)は春夏秋冬、四季のこと。
天才が、普通の奥さんを装えるくらい普通に演技もできるなんていうのが驚きだ。
それくらい四季もまた犀川の特異性に共感し惹かれていたのだろう。


ところで、四季の意図するところとこのユーロパークでの一連の事件には、
虚構と現実という大きな関係性が存在するのだ。
現実志向の塙社長に対して、VR寄りの藤原副社長の対立を、
四季は「暗くなっても、いつまでも砂場で遊んでいる二人の男の子」と表現する。
だけど、犀川と一緒に歩きたいがためにVRシステムの研究に没頭していたのなら、
四季が一番子どものように純粋なんじゃないかと思うのだ。
ただし、そんな四季の頭脳は限りなく偉大だ。
四季以外の人間は、四季にとっては有限かつ微小な細胞に過ぎず、
みんな四季の頭脳の一部として四季の思う通りに動いているに過ぎない。

とにかく四季と言う人間が恐ろしくもありミステリアスな魅力がありすぎて、
何度か読み直すとまた新たな発見に出会う最終作だった。

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